藤沢391街区とは

 

「391街区」―― フジサワ名店ビル、ダイヤモンドビル、C-Dビルの3ビルが建つ藤沢駅南口のこの地は、人々からこう呼ばれています。

 

再開発前、この辺りは日の出町と呼ばれ、391街区は391番地に位置していました。391番地にはみのる百貨店、美栄堂百貨店をはじめ沢山の百貨店や商店があり、また沢山の地権者や借地権を有する建物所有者がおりました。

 

1962年の「藤沢防災建築街区基本計画」では、この辺りを含む日の出町一帯が区画整理事業および防災建築街区造成事業の対象となり、多くの商店主や地権者は再開発ビルへの移転を余儀なくすることになりました。再開発では地権者間での合意形成がうまく進まず、計画通りに進まない場合が非常に多い中、391街区では、地権者が一体となって協働し、まとまりのある街区の実現に尽力した結果、単なる建築物ではない、街のような回遊性のある、縦の商店街が生み出されました。

 

「391番地」の名前は現在も「391ビル商店会」という名前で継承され、再開発前の店舗は現在も391ビルの中で営業を続ける等、再開発前の文脈を継承しており、日本の都市再開発の歴史を伝える重要な都市計画遺産と言えるのではないでしょうか。

 

私たち慶應義塾大学 中島直人研究会 都市計画遺産班(以下都市遺産班)では、この391街区の魅力の発信を通じて、都市計画の歴史を研究し、都市の未来を考えていきます。

藤沢駅前再開発


藤沢駅南部土地区画整理事業

赤線内:ほぼ事業が完了した藤沢駅南部土地区画整理事業対象地    1982(昭和57)年
赤線内:ほぼ事業が完了した藤沢駅南部土地区画整理事業対象地  1982(昭和57)年

 

 

 

 

 1940(昭和15)年に市制が施行された藤沢市では、現在の市域がほぼ確定した1957(昭和32)年に初の本格的な総合都市計画「藤沢市総合都市計画」が策定されました。

 

 藤沢駅の南側でも、この総合都市計画の一環として1959(昭和34)年から藤沢駅南部土地区画整理事業が実施され、南口の再開発が進んでいきました。

防災建築街区について

藤沢市防災建築街区基本計画 (藤沢市所蔵)
藤沢市防災建築街区基本計画 (藤沢市所蔵)

 

 1957 (昭和32)年、藤沢駅前南部土地区画整理事業によって計画された藤沢駅南口駅前広場とともに、1962年(昭和37年)、それに面してまとまりのある建物街区を形成する「防災建築街区」に391番地が指定されました。

 

 防災建築街区とは「燃えない都市づくり」を目指して建築物を共同化・高層化する街区のことで、391街区は藤沢駅前南部防災建築街区の先駆けとして造成されました。基本計画では駅前広場に面するすべての街区に中庭を設置することが計画されており、その中庭を街路で結ぶ構想がされていたことがわかります。

 

 

 しかし、他の駅前街区では中庭型の防災建築街区の造成が実現せず、391街区は藤沢駅前で唯一基本計画を忠実に再現した街区となりました。このような中庭型防災建築街区は全国的にも非常に珍しい事例となっています。